今回は映画というメディアの根源的な話、ができればいいなあと思います。

2005年、私はアメリカの大学院でアート・マネジメントを専攻しており、映画作りに携わりたくて、書店で一冊の分厚い本を手に取りました。『ストーリー/ロバート・マッキーが教える物語の基本と原則』(Robert McKee (1997) Story: Substance, Structure, Style and the Principles of Screenwriting)です。これを読めば映画への理解が深まるんじゃないかと思って。

物語を構造から考える

その本は、いわゆる「おもしろい脚本の書き方」のような内容ではなく、世に広く受け入れられたストーリーを分析、人が感動する物語に共通する要素を明らかにし、その原則を構造から捉えよう、というものでした。本を読んだ後にドラマシリーズ『24』のセカンドシーズンを見たら、ストーリーの流れと構造がハッキリ見えて驚いたのを憶えています。信頼して、裏切られて、と思ったら実はいい奴だった!と思っていたのに裏切られて、みたいな内容ですが、原則を一切外していない。これはワンパターンとかそういうことではなく、人の感情を揺さぶる感情のポイントを見事に押さえていてすげえ!ということです。

映画の魅力を脳科学から考える

最近読み始めた『脚本の科学/認知と知覚のプロセスから理解する映画と脚本のしくみ』(Gulino & Shears (2021) The science of screenwriting)という本は、最新の脳科学と認知科学に基づき、なぜ人が映画/物語に惹かれるのかを科学的に明らかにしていこうという内容です。プロローグで “ホモ・サピエンスにおける言語の発達は、ストーリーを物語る必要性から生まれた” という指摘が紹介されており、そこまで遡る?!と思いましたが、本を読み進めると、なるほど、確かに最初に触れておくべき指摘であると納得します。

視覚や聴覚や触覚からの刺激が電気信号として脳に伝わり、脳が信号を受容、処理して初めて認識に至る…みたいな理解は脳科学的には古いみたいです。最近の研究では、脳は膨大な情報を逐一処理しているわけではなく、それまで蓄積された情報から、対象や状況をまとめて瞬時に把握するショートカットのような機能が働いている、ということが分かってきました。

校庭に万国旗がかかっていて、文明堂のアレが聞こえてきたら、ぜんぶまとめて「たぶん小学校の運動会、リレーが始まりそう」と認識する、みたいなことです。

映画監督や脚本家は脳のこの働きを利用し、ギリギリ認識できるようにヒントを散りばめたり、観客の認識を裏切ったりすることで、注意を引き続けます。晴れた朝、校庭に集まった高校生、朝礼台に登壇した先生の挨拶が「今日は殺し合いをしてもらいまーす」で、観ている人は「え!?」となって物語に深く食いつきます(深作欣二監督 『バトル・ロワイアル』 2000年)。

例えばシャマラン監督

M・ナイト・シャマラン監督は、認識の裏切りをコツコツ地道に重ねます。裏切られ続けた観客は、物語の終盤で、シャマランのパターン読めた!みたいな気になり、一時の爽快感を得ますが、実はそういう気にさせるのがシャマラン監督の目的で、自分が誘導したパターンを最後にひっくり返すのが監督の狙いです。だいたいいつも、そんな感じです。

『シックスセンス』(1999年) も 『アンブレイカブル』(2000年) も、小さな裏切りの連続で僕らは認識の袋小路に追い込まれ、もうこの方向しかない!と思った時に、シャマラン監督の真の仕掛けが発動します。『アンブレイカブル』ラストのミスター・グラスのセリフには大爆笑しました。

映画における仕掛けとはストーリーだけではなく、画角や構図、ライティング、編集、音楽などが、総動員で直接的/間接的に脳に働きかけてきます。なんか脳の構造的に、意識では抗い難い力を結集したのが映画というメディアだと思います。

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