TikTokの勢いがすごい、と感じ始めてから、結構チェックするようになりました。
関連書籍もあれこれ目を通しました。
なんなら自分の動画セミナーでTikTokについてそれっぽく解説できるくらいにもなりました。
1年ほど前に記事も書いています。
『つかみを学びたいなら、TikTokを研究せよ』
https://wepress.web-magazine.jp/2021/08/18/20210818/
だから「よし、ぼちぼち自分もTikTokやってみるか」と考えました。
ところが・・・。
なぜかなかなか始められない。
別に、ダンスができないから、なんて理由じゃない。
TikTokが、ただ女性が踊ってるだけのメディアじゃないことも分かってる。
技術的な問題も、知識的な問題も、機材的な問題もまったくないはず。
それなのに。
それなのに、TikTokが始められないのは一体どういうことなのか。
・・・根っこはもう少し深いところにあるようだ。
今回はそんなお話です。
まずは言い訳を聞こうじゃないか
冷静に自分と対峙してみました。
なぜTikTokが始められないのか?
「あれは、女性の方が向いてると思う」
「縦動画は、ずっと映像やってきた人間には抵抗がある」
「あんなに短いと言いたいことは伝えられない」
自分の頭の中で飛び交う言葉にギョッとします。
お前それ、本気で言ってる??
言い訳するための言い訳になってる!
いや、自分だけじゃないぞ。
こんな感じの言い訳って、よく耳にするぞ。
僕は初心者向け動画の講師をやっていて、いつも「いいから作ろう」「まずはやってみよう」と伝えています。
でもみんな、驚くほど手が動かない。
つまり、動画を作らない。
スマホを持ってるのに。
作りたいと思ってるのに。
「でも・・・」
「だって・・・」
言い訳はどんどん飛び出します。
メンタルブロックが外れない
個人映画の作り方を長年発信してきました。
そこで感じるのが、「何も知らない人の方が動きやすい」ということ。
「まずは勉強してから」と石橋を叩く気持ちもわかりますが、
「勉強し過ぎちゃった人」は、批評家になり動けなくなります。
自分で自分の行動範囲を狭めてしまう。
人に対する批判は同時に、自分自身にも向かいます。
「そんなんじゃダメだ」と。
皆、何らかの条件で作れないのではなく、明らかに”別のもの”が邪魔している。
それは、思い込み=メンタルブロック。
何かを始めるときにはまず、こいつを打破しなければいけない。
自分の過去を振り返ってみた
僕は決して、「行動しない人間」ではない。
そう思ってます・・・ました。
しかし、よくよく振り返ってみると、だいぶん怪しかった。
以前、自分のメルマガでこんなことを書いていました。
『YouTuberになってぶつかった壁』
やり始めてみると、
撮影するためのレンズやマイク、
照明や部屋の内装など、
どんどんこだわりが強くなっていきます。そうこうしているうちに、
どうしても許せないことが出てきました。自分自身、です。
カメラや照明や背後の小物などに
こだわればこだわるほど、真ん中に写っている自分、
そしてそいつが着ているものが許せなくなってきた。笑
「一番好きな映画は『ロッキー』です」
実は、これをスラッと言えるようになるまで年月が必要でした。
映画を作りたいという人は、(自分も含め)基本的に妙な人が多い。
自分の好きなことやこだわりが強い人が多く、だから、好きな映画も「ふつうじゃない」ことがとても多い。
そんな中で、講師をやる人間が『ロッキー』なんて言ったらバカにされちゃう、と。
『天井桟敷の人々』や『第三の男』、はたまたフランス映画やイラン映画を口にしなければならないとずっと思ってたわけです。
ただ、あるとき吹っ切れたんです。
別にどーでもいいや、と。
世の中の人も、自分で作り出したブロックに悩んでる
書籍の中でも、ネットの中でも、同じようなことに言及していることに気づきます。
◎『脚本家-ドラマを書くという仕事-』(中園健司 著)より、橋本忍の言葉。
「どうして書けないんだ。いや、大体君は上手く書こうと思うから行き詰まってしまうんだ。うまく書こうと思うな。上手に書こうと思うな。もっと平凡な、単純な、幼稚でもいい、子供の作文のような形でもいいから、そのシーンを書いてごらん。それで形ができたら、それを直して、さらに直していけばいい。」
「途中で行き詰まるということは、書きながら自分の書いているものを、ああでもないこうでもないと強く批判しすぎたからである。想像力を上回る批判力の作用が、進行にものすごいブレーキをかけていたからである。」
◎いつだったか、ネット上でこんな投稿も見つけました。
海外では、コンテンツ発信を不安に思うことを「Promotion Paralysis(プロモーション麻痺)」と呼ぶ。
何かを発信することにビビること。
人からノーと拒否されることを恐れ、どうせ否定されてしまうという先入観を持ってしまう。自分のコンテンツを無意識で過小評価している。
自分はプロではない。オリジナルのコンテンツなどと呼べるものなどない、面白い投稿などできない。
失うものは何もない、と考えてしまう。
◎『三行で撃つ』(近藤康太郎 著)より
よく聞かれるのが「どうしたらライターになれるんですか?」。
わたしの答えはいつでも同じ。ライターになるには、ライターになればいい。
4つの作戦を立ててみた
では、どうしたらいいのでしょうか。
いろいろ考えて、自分で実行できそうな4つの作戦を立ててみました。
(1)YouTuberやTikTokerの初期の投稿をチェックしてみる。
例えば、ヒカキンの一番最初の投稿を見てみると、
今と全く違う、素人っぽい動画であることに気づきます。
そこから繰り返すうちに、じわじわと自分のスタイルを確立していっている。
僕がTikTokで気に入った韓国のアカペラグループがいて、彼らの一番最初の投稿までスクロールしてみました。
すると、やっぱり今と全く違う。
その投稿を見ても、一体何をやりたいのかもわからない。
そこから、変化を繰り返し、繰り返して今に至っている。
最初から完全なゴールを目指さなくてもいい。
(2)技術・知識・機材の問題点を洗い出す。
それぞれ何が必要かを書き出し、一つ一つつぶしていく。
たいていここはすぐに解決し「なんだ今すぐ始められるじゃないか」と気付ける。
やらない理由、できない理由を、徹底してつぶしてしまう。
(3)文句やクレームを想定しておく。
実際にクレームが来るかは置いといて、どんなことを言われるか考えておくと気が楽になるはず。
男性がやってるTikTokを見て、思ったことを書き出してみました。
「顔を加工しすぎで気持ち悪い」
「これはすごい」
「なるほど、参考になった」
そしてコメント欄も見てみます。
「あれ、意外とみんな受け入れてる」
「あれを気持ち悪いとは思わないんだ」
「これすごいのに、批判的に書く人がいるんだ」
TikTok界隈の人の雰囲気を知れば、恐れも緩和されます。
そしてわかったのは、「撮影が下手だ」とは、一切見当たらなかったこと。
誰も技術的なことは気にしていない。
(4)大義名分を用意する。
やらなきゃいけない理由ができれば、人は動けるはず。
やる気に頼らない。
無理矢理、大義名分を用意するのはいい手でしょう。
人はそんなにこちらのことに興味はない
作れないのは、技術的な問題ではない。
機材的な問題もほぼ取り払われている。
あとは、気持ちとの折り合いの付け方だけ。
吹っ切れろ。
人はそんなにお前のことに興味はない。
これが全てですね。
宣言します。
TikTok始めます。
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自分のための大義名分を用意しました。