小学生向けの映像講師の依頼が定期的に来ます。
「子供たちだけで映画を作りたい」
「子供たちだけでPR動画を作りたい」
といった内容です。
依頼主は、企業・行政・カルチャースクールから個人まで様々。
開催時期は夏は多く、今年は4種類の講座を担当しました。
それなりに数をこなしてきたように思うので、一度総括してみたいと思います。
- 目次
- どんな内容を担当しているのか
- 子供向け講座が始まったきっかけ
- 依頼主が気にすること(1):予算のこと
- 依頼主が気にすること(2):どんなものが作れるか
- 講師の苦悩(1):ロジックが使えない
- 講師の苦悩(2):映像的なバックグラウンドが違う
- 講師の苦悩(3):例え話が使えない
- 講師の苦悩(4):すぐ騒ぐのを止められない
- 技術的な話(1):撮影はスマホではなくタブレット
- 技術的な話(2):一番のネックは録音
- 技術的な話(3):編集もタブレットで
- まとめ
どんな内容を担当しているのか
毎度毎度、本当に依頼内容はバラバラです。
ただ、依頼主には必ず何かしらの目的があります。
僕はそれに合わせてプログラム内容を構築して提案します。
例えば今年やったのは、次のようなものでした。
「子供たちを複数チームに分け、それぞれ違う街のPR動画を作る」
「子供たちに特撮を体験してもらう」
「小学生ユーチューバーを体験してもらう」
「子供たちだけでホラー映画を作らせたい」
過去には、次のようなものがありました。
「町おこしの一環として、子供たちにその街で映画を作ってもらう」
これまで同じ街から2度、3度と呼んでいただいている例もあります。
また、ある小学校の先生から、
「子供たちが映画を作りたいと言って騒いでいる。助けてほしい」
という個人的な依頼を受けたこともあります。
子供向け講座が始まったきっかけ
一番最初に問い合わせがあったのは、かれこれ6年くらい前になります。
ある街の青年会議所さんから一通の相談メールが届きました。
「自分たちの街で、子供たちに映画を作ってほしい」と。
正直、困りました。
僕は大人向けに映画制作ワークショップを長年開催してきましたが、子供向けは経験がない。
僕は年代別に次のように考えています。
・中高生から20代:ネットで調べて自分たちで作れる
・30代・40代:忙しくて週末しか時間が作れない
・中高年以上:なかなか機会がない
そのため、忙しくて、かつ機会がない大人を相手に講座を作りました。
ところが、小学生は考えてなかった。
相談メールに対して、自分は子供専門ではないことを伝え、「こうやったらできると思うのでやってみてください」という内容を詳しくまとめて返信しました。
柔らかくお断りしたつもりでしたが、「是非それをやってほしい」という方向に進んでしまった。
そこで一度開催し、その事例をネットで公開すると、次々と同様の依頼が続くことになってしまったわけです。
依頼主が気にすること(1):予算のこと
当たり前ですが、「いくらで受けてもらえるのか」は気になるでしょう。
僕は、無料でボランティアはしません。
しませんが、「いくらないと受けない」というものはなく、予算と希望に応じてプログラムを提案します。
僕が一人で行くこともありますし、講師チームを編成したりもします。
また、ビデオカメラをレンタルする・しないなど、機材も変えます。
しかし、機材がたくさんあればいいというものでもない。
開催時間も限られているため、機材が多いと慣れる前に終了になってしまいます。
依頼主が気にすること(2):どんなものが作れるか
よく、過去の作品を見せてほしい、と言われます。
「すごいものが作れるなら依頼したい」という期待があるのはわかります。
しかし、僕は見せません。
子供たちが写っているので、そもそも一般公開できないという事情もあります。
が、それよりも、生まれて初めて短時間で作る映像に「誰が見てもすごいもの」を求めるのは無理がある。
例えば結婚式で流れるビデオ。
本人や家族が涙しても、見ず知らずの他人にとっては最後まで見るのすら苦痛でしょう。
<名作>を求めるなら、僕はお断りします。
が、完成までこぎつける体験と、作る楽しさ、そして最低限の質は提供できます。
最低限の質とは、とても見てられないレベルは脱する、ということ。
講師の苦悩(1):ロジックが使えない
大人は、まず勉強してから、という人が多い。
動き出すまでに時間がかかる、という言い方もできますが、しかしロジックで会話ができます。
一方で子供たちは、いきなりカメラを掴んで走り出す。
「子供たちの自由にさせたい」
「自主性に任せたい」
といった言葉が聞こえますが、こと映像に関していうと、とても見てられないものが映るだけです。
構図、カット割、引きと寄りの効能・・。
いろいろ伝えたいことはあるものの、お勉強にしてはいけない。
彼らはじっと聞いてはくれない。
この辺りが講師の腕の見せ所であり、事前の準備が必要な部分です。
講師の苦悩(2):映像的なバックグラウンドが違う
いつも困るのが、子供たちと僕の「映像的な共通部分」が少ないことです。
大人とは、過去に見てきた映画やドラマを参考に話ができます。
一方、子供たちはYouTubeしか見ていない。
近年特に感じるのが、「ゲーム実況を見ている子が多い」こと。
ここには、カット割などというものはありません。
また、調べてすぐ<答え>を見つけようとする傾向も感じます。
PR動画を作ろうという講座では、おもむろにWikipediaを開いて文章を引用し始める子も。
書き言葉と、話し言葉の違いを教えるのはとても難しい。
これは決して、子供たちに能力がないのではなく、映像で伝える経験が少ないのが原因。
「これは何がすごいの?」
「他のと何が違うの?」
僕から、こういった質問を投げかけると答えてくれる。
それをメモしよう!と伝えています。
講師の苦悩(3):例え話が使えない
子供に教える時、言葉遣いに困ります。
大人向けの講座は、ボキャブラリーによってずいぶんと助けられていることに気づきます。
以前、カメラを持ってすり足で移動する実演をしていて、うっかり「腰が痛くなるので注意」などと口にしてしまい、シーンとしたことがあります。
いろんな例え話もまた、相手が大人だからできること。
そのためできるかぎり、記入式シートや配布資料を作り込んでいます。
しかしあまり作り込んでも、『ドキュメンタリー映画の演出』という矛盾と同じ感じがするので、悩みは尽きません。
「自分は、彼らにとって親戚のおじさんなのだ」という距離感を意識して話すようにしています。
講師の苦悩(4):すぐ騒ぐのを止められない
子供たちは気を利かせない。
運営側にとってはこれが一番の問題ではないでしょうか。
長時間の集中は厳しい。
すぐにだらけ始めます。
互いに知った子供たちだと、騒がしさは目に余るレベルに。
そのため、講師とは別に、子供たちをまとめる役が必須です。
学校の担任の先生がいると助かります。
さらに親御さんが一緒なら安心。
一方で、集められて互いに初めて会う子供たち、というのは、とにかく無反応になります。
大人だったら、気を利かせて誰かが口火を切ったりしてくれますが、子供たちは遠慮して下を向いたままだったりする。
映像制作に関係なく、ファシリテーションにかかってきます。
技術的な話(1):撮影はスマホではなくタブレット
小学生たちは、スマホを持ってる子も持ってない子もいます。
そのため、子供たちが一緒に作る場合は、タブレットがカメラ代わりになります。
彼らは学校でも使っているので、使い方は問題ありません。
担当講座の中には「親子で作ろう」というタイプもあります。
その場合は、親御さんのスマートフォンがカメラになります。
技術的な話(2):一番のネックは録音
機材面は、いつもここを重点的に考えます。
ことは、「マイクを用意すればいい」なんて単純な問題ではありません。
ピンマイクを用意すると、「一度に話すのは一人か二人」という指定をすることになる。
子供たちは、8人とかが一緒に話す・変わりばんこに話す、などいろんなことを主張します。
(そしてこれは、撮影当日になるまでわからない)
彼らは映像的な話し方も訓練されてないし、こちらも細かく指導する時間も限られている。
今は、マスクもあってこれもすごーーーーく悩ましい。
(マスクを外すのを嫌がる子も意外と多い)
時間的、編集の手間的な問題から、映像と声を別々に収録してあとでくっつける、という選択肢は現実的ではありません。
この部分は、講座ごとにチェックして提案を変えています。
技術的な話(3):編集もタブレットで
タブレットで撮影し、そのままタブレットで編集する。
これがいちばんスムーズな流れです。
そして、子供たちはタブレットでの動画編集も、軽くアドバイスすればどんどんできてしまう。
なんなら、子供たちの一部は動画編集の経験者だったりする。
iOSならiMovieを、AndroidOSなら別の無料アプリをアドバイスします。
たまに、「撮影だけ子供たちで、編集は講師に任せたい」ということもあります。
そうなると、撮影方法もガラリと変わります。
まとめ
講座を続けていると、子供は子供で共通点が見えてきました。
子供ならではの、共通した発想や行動がある。
「子供ならではの自由な発想で・・・」と期待されますが、残念ながらそうそう目新しいものは出てきません。
むしろ、先に述べたWikipedia参照のように、既存のもの・できあいのものに引っ張られることも多い。
その一方で、「どうやって作るか」という部分は心配はいらない。
彼らはすぐに動き出すし、とにかくフットワークは軽い。
その点は大人とは真逆です。
口を出しすぎると「じゃあ答えを教えてください」的な態度になることもあり、そこも悩ましいところです。
同じ内容でも、相手が違えば伝え方も変わる。
これからも研究を続けたいと思います。