私の《通信生活40年》
#03 海外旅行の思い出

1995年の為替相場を調べてみたら、なんと一時1ドル80円台になっている。

20代は、インド、アジア、北米へ1人旅をした。エイチ・アイ・エスがまだかなり胡散臭かった頃で、神田界隈の小さくて古びたテナントに出向き、電話予約してあった格安航空券を現金で購入したことが何度もある。パックツアーがほとんどだった時代、親や友人から「そういうチケットで大丈夫なのか」と心配された。

旅先の宿だって、予約は国際電話と国際FAXしか方法はないから、若者の一人旅は、宿は現地で探すのが当然だったのだ。

予約必須の場合はFAX。海外のレンタカーの空港カウンターでは、会社でファックス受信した「予約確認書」を提示した。

アメリカで初めて国内用の公衆電話を使ったとき、通じないと思ったら、コインがぜんぜん足りなかった。当時電話は世界共通で距離が長いほど通話料金は高いのが当然だった。

携帯電話レンタル

携帯電話の普及当時は海外では使えなかった。

しばらくして海外旅行者向けの携帯電話レンタルが始まったけど、充電器など一式がなかなか嵩張ってやっかいだった。私が海外で携帯電話を使った最初の記憶は1998年。

重要な契約の回答締切の時期が海外滞在と重なったので、いつでも電話を受けられるようにレンタルしていった。フランスのどこかの宿で朝食の時。日本からの電話で契約成立の一報を受けたことを思い出した。

《つづく》

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