私の《通信生活40年》
#01 6畳間に置かれた黒電話

1983年だから40年前。神奈川県内の大学に通っていた私は馴染めなかった下宿を出て、家賃26000円の木造2階建てアパートの1階へ引越した。不動産屋から預かった鍵で初めて入った6畳間は、木枠の窓の外にコンクリート塀が迫っていて陽当たりが悪いのと、ポツンと置かれた黒電話が印象的だった。

入居してから黒電話は押入れに片付けて、ディスカウント店で買ったプッシュボタン式の安い青い電話機に取り換えた。契約はダイヤル回線だから、数字を押してもピ、ポ、パ、とは鳴らなかった。

電話のないアパート暮らしの友人もいたし、付き合っていた彼女のアパートは男子禁制で、電話は母屋にいる大家さんが取り次いではくれる、というやり方だった。NTTが設立される2年前の話だ。

ポケベル直前

地方新聞社で働き始めた24歳の頃はワープロ黄金期。
“新人類”という世代で括られていた私は、「東芝ルポ」という機種でワープロソフトは一世を風靡した「一太郎」を使った。
そういえばインクリボンも感熱紙も、会社に経費請求した記憶がない。

ローマ字のキーボードで叩く”両手ブラインドタッチ”をスラスラこなすようになって、片手打ち、ひらがな入力の同僚や上司に対して得意気だった。
ワープロで作った書類をファックスで送る、送られるのが仕事の日常。

聖子ちゃんカットの女性も、セカンドバックを脇にしてセーターを肩にかけて歩く男性もまだポケベルさえ持っていなかった。

FMラジオの自由化によってJ-WAVEやNACK5が開局、数年後はミニFMブームがやってきた。

《つづく》

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