アメリカの映画監督クエンティン・タランティーノは、1992年のデビュー以来ノンリニアな編集や独特の台詞回し、セオリーにない音楽の使い方など独自の作風が高く評価されています。
私は映像ディレクターとして、彼の音楽と映像に対する考えを知ることができる彼の言葉を時々聞き返します。
その言葉は、 “The Tarantino Connection” (1996) というコンピレーションアルバムに収録されていますが、日本語訳がどこにも掲載されていないようなので、 ChatGPTとDeepLとGoogleでそれぞれ翻訳して比べてみました。
ChatGPT によるタランティーノのインタビュー
映画を始めるときとか、脚本を書いてるときとか、映画のアイデアが浮かんだときにやることの一つは、手持ちのレコードを引っ張り出して、ただひたすら曲をかけてみるんだ。映画の個性とか、映画の“魂”を見つけるためにね。それで、“これだ!”っていう瞬間が来るんだよ。1曲か2曲、もしくは特にピンとくる1曲で、“ああ、これはオープニングに最高だ!”って思う曲を見つけるんだ。
「Misirlou」(*注)をオープニングに使うってのは、本当に強烈なんだよ。まるで「今から壮大な映画を見るんだぞ、大きな物語が始まるぞ、さぁリラックスして楽しめよ」って言ってるような感じ。音がすごく大きくて、ドカンとぶつかってくるような勢いで、映画自体がその期待に応えなきゃいけないようなプレッシャーがあるんだ。まさに「俺たちはデカいんだぞ!」って宣言してるようなもんだね。
映画で音楽を使うのがなんでこんなにカッコいいかっていうと、うまくいけば、適切なシーンで適切な曲を使えば、それが映画をめちゃくちゃシネマティックにしてくれるんだよ。曲を映画の中で上手く使えたとき、それこそが映画というアートの一番得意な部分だと思うんだ。直感的で感情に訴えかけて、映画としての力がすごく発揮される。そこが特別なんだよね。
(*注)タランティーノ監督二作目『パルプ・フィクション』のオープニングクレジット曲
DeepL によるタランティーノのインタビュー
映画を書き始めるとき、あるいは映画のアイデアを思いついたとき、私がすることのひとつは、レコード・コレクションを調べて、ただ曲をかけ始めることだ。
『Misirlou』をオープニング・クレジットにするのは、とにかく強烈で、「壮大な映画を見ているんだ、この大昔の映画を見ているんだ、ただ座っていてくれ」と言わんばかりだ。大音量で鳴り響き、映画がそれに応えなければならないという試練が投げかけられる。
映画で音楽を使うことのクールな点のひとつは、正しい方法で、正しい曲を、正しいシーンで使うことだ。映画が他のどんな芸術よりも優れていることをやっているのだ。
Google翻訳 によるタランティーノのインタビュー
映画を書き始めるとき、または映画のアイデアがあるときに私がやることの 1 つは、レコードコレクションを調べて、ただ曲を演奏し始めて、その人の個性を見つけようとすることです。映画、映画のスピリットを見つけて…それから「ドーン」、最終的には 1 曲、2 曲、または 3 曲、または特に 1 曲をヒットします。「ああ、これは素晴らしいオープニング クレジット ソングになるだろう」。
オープニングクレジットに「Misirlou」があるのはとても強烈で、「あなたは大作を見ている、この古い大きな映画を見ている、ただ座ってください」と言うだけです。それは非常に大音量であなたに向かって鳴り響き、映画が耐えなければならないガントレットが投げ込まれます。 「私たちは大きいです!」と言っているようなものです。
映画で音楽を使用することの素晴らしい点の 1 つは、適切に使用すれば、適切な曲を適切なシーンで使用すれば、効果が得られるという事実です。実際、曲を取り出して映画のシーケンスに正しく配置すると、それはできる限り映画的なものになります。あなたは、映画が他のどの芸術形式よりも優れていることを実際にやっているのです。この直感的、感情的、映画的な方法で本当に機能するのは本当に特別なことです。
それぞれの特徴は
ChatGPT(3.5) の訳が一番正確で読みやすいものでした。
DeepLは翻訳+要約という印象です。訳されていない言葉も目立ちますが、正確性より文意を端的に伝えることに重きが置かれている訳です。
Google翻訳は一言一句もらさず訳そうとしていますが、そのせいで全体として読みにくい文章です。
ChatGPT4.0で翻訳してみたところ3.5よりさらに正確で、
4.0では代名詞(it/we)が何/誰を指しているのか、より正確に把握されていました。