前田敦子とキンタロー。のツーショット写真

原作と映像の幸せな関係

キンタロー。のAKB48前田敦子のモノマネを見て、「似ていない」と怒る人は多くないと思います。「バカにしている!」と怒る人は…多少いそうですが、でもなぜかAKBっぽい。なんかおもしろい。キンタローの着眼点、観察眼、解釈と想像力、度胸、表情、芸としての作り込み、それらは笑わせることを目的としたキンタローの表現です。モチーフのAKBを介してキンタローが感じられるからいやらしくないし、だからAKBに似ていないという批判も出ない。

キンタロー。公式サイトより  https://www.kintalo.com/ 

原作のある作品を映像化すると、必ずと言っていいほど批判が出ますが、『国宝』(吉田修一, 2018)も『秒速5センチメートル』(新海誠, 2007)も、その実写映像化作品は批判を受けていません。むしろ賞賛されている。原作を大きく改変しているのに。

映像化の失敗とは

マンガ「ドラゴンボール」を原作とする実写映画『ドラゴンボール EVOLUTION』(ジェームズ・ウォン, 2009年)を例にしてみます。あまりにも原作とかけ離れた映画の設定が世界中のドラゴンボールファンから酷評されました。
執筆を担当した脚本家は、
「原作は読んだことがない、金のために書いた」
「情熱を持たずにクリエイティブな仕事に取り組めば、必ず失敗する」
「すべてのドラゴンボールファンの皆さんへ、心からお詫びします」
というコメントを出しています。
これは映像化の失敗と言えるかもしれませんが、プロジェクトとしての失敗に過ぎないとも考えられます。映像化の失敗は誰かの所為にできるものではありません。成功したら誰かのおかげですが。

成功した映像化は、必ずしも原作に忠実なわけではない

チリの生ける伝説、アレハンドロ・ホドロフスキー(映画監督)の言葉は極端ですが、原作と映像化の関係についての真実を含んでいます。

「原作の中にいい素材があれば、あとは殺して捨ててしまう。血だけ欲しいんだよ。他はいらない。そうやって原作者たちの生き血を吸ってるわけだよな、僕の脚本は」(ホドロフスキー)

映像化の際に原作にない言葉・登場人物・設定が出てきたりすると、「原作へのリスペクトがない!」みたいに批判されますが、映像化に成功している作品は必ずしも原作に忠実なわけではありません。
『国宝』(李相日, 2025)では主人公幼少期の描写が大幅に削られているし、『秒速5センチメートル』(奥山由之, 2025)は原作の短編を並べ直して長編映画にしています。が、それが効いている。
「原作と違う、でもそこがイイ!」となるのは、原作を介して作家の感覚、ものの見方、息遣いを感じることができ、それが原作の世界を拡張し、さらなる広がりを見せてくれるからでしょう。

『ドラゴンボール EVOLUTION』との違いは、原作を自らの血肉とし、批判も賞賛も受け止める肚の決まった作家がいるか、いないか、その一点です。

原作と映像化の幸せな関係

ということで、原作と映像化の幸せな関係は「キンタローと前田敦子みたいな関係」ということでいいですか?

キンタロー。公式Xより https://x.com/Kintalo_/status/1998003867875783001


【PR】


さいたまのホームページ制作運用定額プラン2x2(ツーバイツー)のご案内


長尺動画制作パッケージのご案内│新浦和映像