先日、映画制作体験ワークショップ、東京での第26回目の開催を終えました。
初心者だけが参加でき、週末2日間で完結する、社会人向けの映画づくり体験教室です。
2003年に開始し、今年でまるまる20年。
主催・他催を含めると、北は札幌から、南は鹿児島まで各地で開催してきました。
対象も、小学生向けからシニア向けまで。
「楽しそう」とよく言われます。
「いいなあ、そういうのやれて」と羨ましがられたりします。
もちろん、楽しくないことはないです。
ただ、20年間を振り返ってつくづく思うのは、ずっと苦悩の連続だ、ということなんです。
(注:本文と写真は一切関係がありません)
「教えてほしい」からずっと逃げてた
僕は、学生時代に映画作りにハマってしまった。
ただ、ただ、作るのが楽しかった。
なのに、いつからか「教えてくれ」という人々から追われ始めた。
始まりは、ホームページを作ったこと。
まわりのホームページはどれも、「俺様すげー」という内容だったので、逆張りで「自分の失敗談」を掲載した。
それが目新しかったのか、親しみやすく感じられたのか、相談メールが止まらなくなった。
「俺に聞くなよ」と思いつつ、頼られたら嫌な顔もできないので、相手が会える距離の人なら会って体験談を話したりした。
それがあまりにも増えてしまい、一度に5人とかまとめて会うようになり、だったら「みんなで映画を作ってみたら」ということになった。
作りたいのなら、勝手にやってくれ。
これで自分は解放される、
・・・なんてのは甘い考えだった。
僕は「教えてくれ」から逃げるようになった。
断ったら落ち込んだ
しとしと雨が降るある晩、ちょっと断れない人から呼び出されて赤坂の喫茶店に行くと、そこには赤い服を着た女性が一人いた。
その女性は僕に会うなり、「映画を作りたいんです!」と目を輝かせて言ってきた。
僕はげんなりした。
またこれか・・と。
その日は適当にあいづち打って話を切り上げて帰ったものの、しかしその女性はしつこかった。
何度も何度も電話をかけてきて、助けてほしい、と。
数日にわたる問答の末、僕は「手伝う気はない。もう電話しないでくれ」と強く言い放って電話を切った。
電話を切る瞬間、
相手が何かを言おうと、
必死に息を吸い込むのが聞こえた。
その電話のあとしばらく、僕は落ち込んでしまった。
落ち込んで、落ち込んで、その理由に思い当たった気がした。
あの赤い服の女性は、昔の僕だった。
映画を作ろうと思いついた頃の。
自分の映画を作りたいのに、どうしていいか分からず不安だった自分。
まわりに誰も教えてくれる人がいなくて悩んでた自分。
映画雑誌を見ても、そこできらめいている機材を買うことができなかった情けない自分。
あの頃の自分は、助けてくれる誰かや何かを求めてあえいでたのに、すっかり忘れてた。
いろんな人にからまれた
ワークショップと名付けたものの、人さえ集めればいいと思ってた。
当然、参加費なんてもらわない。
だって、自分には教えることなんてできないんだから。
ただ、集まった人たちが困ったら、自分なりに手伝おうとだけ思ってた。
ところがどんどん人が集まって、参加した人から文句が噴出する。
「あの人とは一緒に映画は作れない」
「自分のアイデアが採用されないから嫌だ」
「テキストが揃ってないなんて信じられない」
それだけじゃない。
関係ない外部の人からも驚くほど批判を浴びることになる。
「へぇ〜、すごいんだねえ〜」と呆れられる。
「おまえ、何様なの?」と詰め寄られる。
「人様に教えるなんておこがましいこと、俺にはできないなー」と嫌味を言われる。
うるせーなー、と僕は心の中で毒づく。
好きでやってんじゃねーよ。
批判だけでなく、こちらを試そうとしてくる人間も現れる。
「あなたはどこで学んだのですか?」
「どの監督のもとで修行したのですか?」
「何の賞を獲ったことがありますか?」
めんどくせーなー、ほっといてくれよ。
賞を獲ることと、初心者に教えることと、何の関係があるんだよ。
いい情報が見つからない
僕は逃げ道を探すことにした。
「この本を読めばいいよ」と渡せる本を探して、映画制作関連の本を読み漁った。
「このサイトを見たらいいよ」と紹介できるページを探して、ネット検索しまくった。
「この教材で勉強するといいよ」とお知らせしたくて、教材を見つけたら迷わず買った。
アメリカから英語教材だって買った。
部分的にいいものはある。
でも、どれも局所的。
シナリオの書き方だけわかったり、監督の演出法だけ詳しかったり。
映画を作るには、【全工程を網羅】している必要がある。
シナリオと撮影準備、人集めと撮影と機材、編集とパソコンスキル。
みんなをまとめていくチームワークやリーダーシップ。
初心者に必要なのは、最初から最後まで、一気通貫した情報。
こういうことを、まるっと相手してくれる、書籍もサイトも教材も見つからない。
専門家はみな、それぞれの専門分野を詳しく書く。
いろんな工程を取り上げた書籍もあるけど、それぞれ独立した”点の情報”が並んでるだけ。
有名な監督が書いてるものは、再現性が低い。
だんだんイラついてきた。
世の中これだけ詳しい人、すごい人がいるのに、なんでぴったりのものがないんだよ。
“すごいこと”、”正しいこと”ばっかじゃ、初心者は真似できねーよ。
特に、<ひとの問題>についてアドバイスしてるものが一切ない。
自分のシナリオに満足しても、ひとは集まらない。
いいカメラを買ったって、仲間割れは防げない。
焦点距離に詳しくなったって、映画は完成しない。
やってもやっても解決しない
参加者は盛り上がってる。
でも、集まれば集まるほど、ひとの問題も増えていく。
いや、ひとの問題ばかり増えていく。
やればやるほど、僕の神経はすり減っていき、数回開催してつくづく嫌になった。
もう、やめたやめた!
バカらしい。
「興味あれば連絡ください」というページを削除した。
ところが、メールは止まらない。
「次はいつですか?」
「参加したいです」
「お願いします。再開してもらえませんか?」
それまで結構な数の人と接してきて、わかってきたこと。
それは、僕のワークショップに参加するのは「映画のプロを目指していない人」だということ。
だから、数年かけて映画学校とか専門の大学とかは行くほどではない。
今すぐ、自分の作品を作ってみたい人。
そういう人のための場所がないことがわかってるから、僕は仕方なく、またワークショップを再開する。
ひとの問題にどう対処するか。
一人一人が悪いんじゃなく、組み合わせの問題だと考える。
だから、「こういう人には合わない」と、開催するたびに募集ページに追記した。
どんどん、追記を続けた。
講師を誰もやりたがらない
ワークショップを手伝ってくれてたのは、以前から僕の映画スタッフをやってくれてた仲間たち。
しかし数年経つと、一人、また一人と抜けていく。
仕事が忙しくなったり、転勤になったり、結婚して子供が生まれたり。
とうとう一人になってしまった僕は、講師を頼める仲間探しに奔走した。
ところが、僕の考える適任者が、なかなか見つからない。
ある人は、参加者を使って自分の作品を作ろうとした。
ある人は、女性参加者を口説く目的で来てた。
ある人は、つまらない、と言って去っていった。
せっかく人を見つけても、もう来ないでほしい、と伝えなきゃいけないこともあった。
いい人が見つかっても、相手が忙しくてスケジュールがどうしても合わないことも。
僕が求めるのは、ただ知識がある人ではない。
初心者の苦しみに共感できる人間でなければならない。
だから、過去に映画制作で苦しんだことがあり、かつそれを乗り越えたことがある人を探す。
この人なら、と目をつけても、「教える」となった瞬間にみんな尻込みする。
「自分はそんなレベルの人間じゃない」
「自分はまだまだ」
「もっとすごい人がいるから」
僕は必死に、口説き続ける。
考えてもわからない
そもそも映画制作ワークショップというものをどう運営したらいいかだって手探り。
参考にするものすらないのだから。
考えてもわからないから、やってみるしかない。
初期の頃は、参加者が作品を完成させるまでやってた。
参加者のためになると思っていたけど、長く開催すればするほど、人が減っていく。
ある回は1年以上かかり、ある回は、途中で監督と連絡がつかなくなった。
妥当な開催期間、とはどのくらいなのか。
「2ヶ月間ワークショップ」も試したし、「2週間ワークショップ」も試した。
「シナリオだけ」「撮影だけ」「編集だけ」などと分割してみたり。
何をやっても、「もっと短くていい」という人も「時間がなさすぎる」という人もいる。
結果、「全工程を2日間で」が一番定着率が高かった。
毎度毎度、参加者にヒアリングし、しっかりとアンケートを取り、そこに書かれてることをいかに実現するかに腐心する。
ただそれだけを繰り返しているうちに、20年が過ぎていた。